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【プロフェッショナルパートナーの素顔】南大東島での波浪観測が人生のターニングポイント

日本気象協会を支える気象・環境・防災のプロフェッショナルを紹介する「プロフェッショナルパートナーの素顔」。今回は、海洋分野でキャリアを築き、現在は若手の技術資格取得のサポートをしているプロフェッショナルパートナーが語ります。

三嶋 宣明(みしま のぶあき)
日本気象協会 本社 社会・防災事業部
福岡県北九州市出身。1991年に日本気象協会に入社し、以来30年に渡り海洋関連の事業を担当。現在は部内の資格取得推進担当者として、若手をはじめ後進の育成も担っている。気象予報士。
会社近くの図書館で本を借りて読むことが多い。最近面白いと思った本は「大統領から読むアメリカ史」。ここ数年は控えているが、ガンプラを作るのが好き。

地学が好きだった少年時代

出身は福岡県北九州市です。門司(もじ)駅の近くに住んでいました。門司駅は九州に入ってきたブルートレインがけん引車を交換するために必ず停車する駅なので、早朝3時頃から見学に行っていました。関門海峡が目の前なので、魚釣りもよくしていました。ただ、釣れるのは小さいフグばかりでした(苦笑)。

兄弟が多かったこともあり、将来みんなと同じことはしたくないなぁと子どもの頃から思っていました。「気象の仕事はけっこう特殊、かつ重要な分野」と小さな頃から感じていて、気象にはなんとなく関心がありました。高校では地学を選択していましたが、ある時、地学の定期試験で先生が自分の答案を気に入ったらしく、100点満点のテストに110点をつけてくれました。何がよかったのか覚えていませんが、それから地学にさらに関心を持つようになりました。地学のなかでは、化石や地層など地質学系が特に好きでした。

雪の影響で受験ができず…人生の大きな分岐点

北九州市はめったに雪が降らないので、首都圏並みに雪が数センチでも積もると交通が大混乱します。大学受験のとき、高速バスで大学の受験会場に向かっていたのですが、山沿いで数年ぶりの降雪があり高速道路が大渋滞してしまい、結局受験できなかったというハプニングがありました。受験する予定だった大学は、当時は「名前を書けば合格」なんて言われていて、後日担任から「お前は自分の名前も書けんのか」と笑われました(もちろん事情を知った上で、ですが)。そこから一浪して宮崎の大学に行きましたが、あの日は人生の大きな分岐点の一つだったと今でも思っています。

「波形」をキーワードに 地震や海洋調査を幅広く担当

大学卒業後の1991年に日本気象協会に入社し、当時の中央本部 調査部 海洋調査課に配属になりました。若手の頃の仕事は「波形」がキーワードでした。
 
まずひとつめは地震の「波形」です。国内で発生した地震の波形データを国際機関に送る実験を担当しました。地震波形データを一次処理して震源、起時、マグニチュード、押引きなどを読み取って整理し、それを所定のルールで期限内に送るというものでした。国際実験だったのでUTC(世界時)基準で行われており、日本は朝9時が締め切り…入社早々何度も徹夜したことを覚えています。まだインターネットなどが普及していない時代なので、DOSプロンプト画面からFTPコマンドを一つ一つ入力していました。実験終了後、各国の情報を取りまとめていたら「シャドーゾーン(注:地球上で、地震計が地震のあとに地震波を観測することができない地域のこと)」を確認することができて「地学で勉強した通りだ!」と感動したのを覚えています。

その後は海の「波形」解析です。波浪、高潮、津波、潮汐など様々な波の調査や観測を担当しました。異動はちょこちょこありましたが、部署や立場は変わっても結局は海洋調査系の業務を担当してました。海洋調査業務関係では、全国の支社・支店にお世話になることもよくありました。これまでの経験から、海洋関連の社内史を含めて広く私が知っていることもあるかと思いますので、何か役に立てることがあればいつでも気軽に声をかけていただければと思います。

南大東島での波浪観測が人生のターニングポイント

仕事のなかでターニングポイントになったのは、南大東島の漁港を作るために波浪観測システムを作り、現地で観測をする仕事を担当したことです。それ以前も複数の波浪観測業務に関わってきましたが、南大東島の仕事は私が主担当として任されたもので、責任も重大でした。

観測機器との接続(AD変換)、生データの処理、演算…いろいろなことを試行錯誤しながら作りました。南大東島は簡単に行けるところではないので、演算プログラムが発散しないようにする、パソコンが止まっても再起動できるようにするなど、あらゆるリスク回避策を考えました。
南大東島は太平洋にポツンとある小さな島なので、外洋性の波と季節風で卓越する波浪が混在しており、本業(波浪)をカラダで勉強する貴重な機会になりました。何度も島に通ううちにたくさんの知り合いができて、後半は南大東島に行くのが楽しくなりました。同じ日本なのに文化が違うというか、時間がゆっくり流れていて、こういうところで暮らしてみたいなとも思いました。南大東島の仕事は4年くらい担当しましたが、担当を離れてから「港が完成した」という知らせを聞いたときは感無量でした。

技術者資格に挑戦する社内メンバーをサポート

現在は本社の社会・防災事業部で、海洋調査業務をメインにさまざまな調整を担当するほか、社会・防災事業部内での建設コンサルタント系の資格取得を推進する役割も担当しています。
 
私の所属する社会・防災事業部では、国や自治体の公募案件(コンペティション)に応募する機会がよくあります。公募への参加条件として、類似業務の経験実績はもちろんのこと、予定管理技術者や予定担当技術者となる人には建設コンサルタント系資格(技術士、RCCMなど:以下「資格」)が必要です。資格の種類によって配点が違うのですが、私の部署では特に「技術士」の取得を奨励しています。近年は、求められる資格の種類が増えつつあります。複数の資格があると有利ですので、引き続き技術士取得を目指ししつつも、ぜひ他の資格にも挑戦してほしいと思い、今年から土木学会技術者資格に挑戦する社内メンバーのサポートを行っています。

作文能力の育成は一日にしてならず 報告書の作成で訓練を

建設コンサルタント系資格の資格試験は論文形式なので、日ごろから文章作成や、専門用語を使った会話をしていないと、ぶっつけ本番で受けても合格は難しいです。特に作文は自分もそうですが、書いているとどんどんまとまらなくなり、何が言いたいのかわからなくなってきます。読み手(採点官)に言いたいことを伝えるというのは非常に難しいです。これは報告書作成等で訓練していくしかないですが、メール等でも伝える事に気を付けながら作文すれば修行になると思います。もう一つ、試験は手書きなので、これも日頃からの手書きメモなどで丁寧に書く訓練をしておくことが大事だと思います。後日手書きのメモを見ると「何を書いたんだっけ?」となることがありますが…こういった点も気をつけていく必要があると思います。

「真のニーズ」に応えられたときは心のなかでガッツポーズ

仕事をするうえで大切にしていることは 「ニーズ」と「真のニーズ」です。仕様書はニーズですが、なぜそれが必要なのか(真のニーズ)が違うことがあります。真のニーズを聞いてそれに応えられたときは技術者冥利に尽きますね。心のなかでガッツポーズが出ます。仕事でやりがいを感じるのは、やはり「感謝されたとき」でしょうか。
マネージャー(管理職)を務めていたときは、皆さんの満足を叶えることを目指しましたが、本音を言うとなかなか難しかったです。最大多数の最大幸福を目指しましたが、結局は最大公約数的に落ち着いていたかもしれません。それでも、後任が同じ苦労をしなくて済むように、ということはよく考えていました。また、変えた方がいいと思ったことは変えてきたつもりです。

「お前、昔から気象の仕事がしたいと言ってたよな、その通りになったじゃん」

これから気象の仕事を目指す皆さんへのメッセージとして…おそらく、これから就職する方は、何かの形で社会の役に立ちたいと思っている人が多いと思います。「気象」という分野は非常にわかりやすく、説明もしやすいと感じます。最近の日本気象協会は、理系だけでなくさまざまな分野を得意とする人材が集まるようになってきたと感じます。「バラエティな組織」といった感じでしょうか。
私はバブル世代なので就職にはあまり不自由しなかった印象がありますが、最近入社された方の話を聞くとすごく苦労されていて、身につまされます。仕事を続けるにあたり、自分が関心を持ち続けられる何かがあること、は大切な気がします。
そういえば、高校を卒業して何十年後かのクラス会で名刺交換したときに「お前、昔から気象の仕事がしたいと言ってたよな、その通りになったじゃん」と言われたことを思い出しました。なんだかいい気分でした。
 

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