【プロフェッショナルパートナーの素顔】気象予測の共通点は「お客さまの意思決定に使われている」ということ
日本気象協会を支える気象・環境・防災のプロフェッショナルを紹介する「プロフェッショナルパートナーの素顔」。今回は、高速道路や国道、ダムなどの気象予測の専門家としてキャリアを築き、現在は東北支社で環境・エネルギー分野を担当するプロフェッショナルパートナーが語ります。
シーカヤックや機械いじりが趣味
出身地は宮城県仙台市です。2023年の夏は仙台でも30℃超えの真夏日が続き、35℃以上の猛暑日も7日観測されるなど、とんでもない暑さとなりました。以前の仙台は、夏は7月下旬までは北東気流により肌寒く、暖房器具を出したままでした。近年の夏の暑さは信じられません。冬の雪の降り方なども含めて、気象が今後どう変化していくのか、とても気がかりです。
小学生の頃は東北支社の近くを流れる広瀬川でよく遊びました。広瀬川は「青葉城恋唄」という名曲に登場する有名な川で、釣りやクワガタ取り、ボート漕ぎなど上流から下流まで思い出が詰まった場所です。
アウトドアが好きで、子どもが小さい頃は家族でシーカヤックを楽しんでいました。本社勤務になった頃からしばらくお休みしていましたが、釣りやカヤックなどの趣味をそろそろ再開しようかなと思っています。他には、バイクや車などの機械いじりが好きです。壊れたエンジンを修理して息を吹き返す瞬間は言葉にできないほど嬉しいです。
黒潮の調査をしていた大学時代 命の危険を感じゾッとしたことも
大学では水産学部に在籍し、主に黒潮や海山周辺の海況調査などの研究をしていました。年に数回、大学の船で長期間の観測航海がありました。黒潮の流速は早いところで5ノット(秒速2.5m)もあります。一方、水深3000mの深海でも流れがあり、観測はとても興味深いものでした。乗船中に、紀伊半島のかなり沖合で米軍のヘリから船に銃を向けられたこともありました、あの光景を思い出すと今でもゾッとします。
気象に興味をもったきっかけは、小学校時代までさかのぼります。小学生の頃から、気象通報を聞いて天気図を書いていました。また学生時代の航海では船上での気象観測も行っており、寒冷前線の雲や竜巻など、なかなか見ることができない気象現象に何度か遭遇しました。海洋のみならず気象にも興味が沸き、就職活動の際に迷わず日本気象協会を受けたことが、今につながっています。
防災・環境・予報サービスなどあらゆる部門の仕事を経験
日本気象協会に入社してからは、防災・環境・予報サービスなどあらゆる部門の仕事を経験しました。当時の東北本部(現在の東北支社)に配属となり、まず防災や環境などの調査部門で経験を積みました。酸性雪の調査でヘリに乗ったこともありました。その後はメディア系の部門に異動し、原稿作成やラジオ出演なども経験しました。2000年からは特定のお客さま向けの気象予測業務に従事し、2010年に初めて本社に異動しました。本社では予報事業部予報センターで予報サービスを担当。その後は、東北支社と本社を異動で行き来し、2022年7月に出身地仙台の東北支社に戻ってきました。
東北支社はメディア・コンシューマ事業関連では放送局への原稿提供、ラジオ出演、放送システム構築運用を行っています。社会・防災事業では国や自治体に対しての気象情報提供や解析業務のお客さま窓口を、環境・エネルギー事業では電力需要予測、日射量や風力発電向けの予測を行っています。現在、私は主に環境・エネルギー事業関連のお客さまを担当しています。
東北支社では冬季の雪氷(せっぴょう)に関する業務が多く、特に冬が多忙となります。北海道支社や本社と連携しながら業務を遂行しています。最近は東北管内での風力発電のための風況調査、環境アセスメントが多く、ほとんど本社主体で実施していますが、地の利を生かしていくつかの地点は東北支社で担当し、また、測器に異常があればすぐに対応できる体制をとっています。今後も本社と連携しながら、地元のお客さまのニーズを本社に迅速に伝え、素早い対応ができるよう心がけていきたいです。
気象予測の共通点は「お客さまの意思決定に使われている」ということ
気象予測には降水量、風、雪、気温、日照などさまざまな気象要素がありますが、共通点はどれもお客さまの意思決定に使っていただいているということです。そのためには、高い予測精度、安定した情報提供、わかりやすい情報であることが大切です。異なる点は契約手続きや提出書類の様式です。お客さまごとの書類の違いを頭に叩き込むことは、実は予測情報を提供するより難しいかもしれません…。
ターニングポイントは入社20年目での本社への異動
入社後約20年間は東北支社(当時は東北支局)に在籍していました。2010年に初めて本社に異動となったことがターニングポイントです。地方に比べて東京は得られる情報量が多く、気象庁の講習会等への参加がしやすいことに驚きました。また本社は人数が多いので、大勢で協力しながら業務を進めていくことも新鮮でした。一番印象に残っていることは東日本大震災です。地震発生時、私は池袋の本社に勤務していました。津波被害を受けた地域に行っていた娘と連絡がとれず、当時の上司がすぐに仙台に戻れと言ってくれて、車で20時間かけて仙台の自宅に戻りました。娘は無事でした。
これまでに仕事でお会いしたお客さまを忘れないようにしている
普段仕事をするなかで大切にしていることは「これまでに仕事でお会いしたお客さまを忘れないようにすること」です。一緒に仕事をした後、異動で勤務先が変わるお客さまも多いですが、そこで大雨や大雪が予想される場合には、可能な限りメールで連絡するようにしています。入社間もないころ、秋田県の山奥で一緒に仕事をしたお客さまとは今でも交流があります。お互いの所属や状況が変わっても、仕事で出会った方とのご縁を大切にしていきたいと思っています。
お客さまからの「予測が当たって助かった」の声に感じる喜び
気象予測に従事していた期間が長いためか、お客さまから「予測が当たって助かった」という言葉をいただいた時に仕事のやりがいを感じます。気象予測業務は予測が当たって当たり前、外れた際はお客さまからお叱りを受けることが多いです。お客さまからの感謝の言葉は涙が出るほど嬉しいです。
マネージャー(管理職)を務めていたときに、大切にしていたことが3つあります。まず1つ目に、個人への仕事の偏りをなくし、不公平にならないように意識していました。業務量の不公平さを感じ方には個人差があるので、できるだけ面談等で皆の声を聞き取るようにしていました。2つ目は急な病気などの長期休暇や退職があっても業務を遂行していけるように、マニュアル作成や副担当の配置をすることです。3つ目は若い方へ仕事を引き継いでいくことを常に意識していました。どれも当たり前のことですが、十分できていなかったと反省しています。東北支社で働く今も、大切にしている考えです。
日本気象協会で働く人たちは「家族」
日本気象協会で働く人たちを一言で表すと…「家族」でしょうか。日本気象協会は、とても職員に優しい企業だと思います。最近はTeamsなどオンラインツールでのWeb会議も広まったことで、他の支社支店のメンバーと画面越しで気軽に会えるようになりましたし、仕事上で何か困ったことがあれば社内メール等で相談するとすぐに解決できます。世代を問わず、皆さん優しい方ばかりです。
プログラミングを知っていると仕事が楽になる
将来気象の仕事を目指す皆さんに伝えたいことは、気象の仕事はプログラミングスキル、コミュニケーション力、さまざまな気象データを組み合わせる発想力が大切だということです。プログラミングは、昔は調査の仕事を行う上では必須スキルでした。今はさまざまな専門分野を持つ方が日本気象協会で働いていて、それぞれに得意なことがあると思いますが、プログラミングを知っていると仕事が楽になるよ、ということを伝えたいです。
現在の気象データは、複数機関の気象予測値に加えてアンサンブル予測、さらに観測データや推定値など扱う種類が増えていて、私もまだまだ使いこなせていないと感じています。最近では、数多くの気象データに、さらに他分野のデータを組み合わせることによって新たな価値が生まれています。気象データ活用で未来を創る第一歩を、これからも歩んでいきたいと思っています。